----- 東シナ海に浮かぶ秘境にはキビナゴ漁と海への熱い想いがあった (P3)-----
鹿児島県・甑島漁協
島の歴史を受け継ぐ組合長の家系

 
敷地にそびえるアコウの木
塩田組合長の話はとても興味深かった。組合長の家は天正 12 年( 1585 年)まで上甑島の島地頭だった家系だ。初代塩田甚太夫は“鞍馬楊心流”の免許皆伝者で、武術巻物・秘伝書など一切の伝授を受けて甑島に引き継いだ人物で、丸石垣が並ぶ武家屋敷跡の入口付近にある屋敷内にはその歴史を物語る文書が多数残されているという。「この土地に入って 600 年くらいになるのかな」という塩田家が網元となったのは祖父(甚一郎)の代で、里で初めて巻網・地引き網・沖合一本釣りなど組織的な漁業を始めた人でもある。しかし、昭和 26 年( 1951 年)の“ルース台風”襲来の折、網が流され船も被害を被ったことで巻網を断念。昭和 36 年( 1961 年)の台風では奄美大島まで一本釣りに出ていた船が襲われ、 2 名は助かったものの 6 名の死者を出してしまったらしい。父の甚志(ふかし)さんは漁業を継ぐ傍ら鞍馬楊心流の宗家であり、甑島の歴史などについてたくさんの著書を持つ島一番の知識人。時間があればゆっくり島の話を聞きたかったが…。


- 3 -
戻る